My story⑤終わりのない不妊治療…

母育士「万智さくら」ってどんな人?

自己肯定感ゼロ人生からの脱却ストーリーを

シリーズでお伝えさせていただいています

 

今日は【終わりのない不妊治療】についてお話させてください。

 

幼い頃からの恵まれない家庭環境。

両親の離婚後は、父の所へ行ったり、祖父母宅へ行ったりして、

自分の家が定まらなかったこともあり、

「早く結婚して落ち着きたい」

という思いが強くありました。

子どもが好きだから、たくさん子どもを産みたい。

そんな願いを持ちながら、25歳の誕生日に今の主人と結婚。

 

しかし、コウノトリはそう簡単には、私のところへ来てくれませんでした。

 

待っていたのは8年にも及ぶ不妊治療。

ありとあらゆる治療をしました。

 

真面目な性格のため、

「頑張っていればいつか報われる」と思い、

一日も休まず治療に通い続けました。

 

しかし、せっかく妊娠できても流産してしまったり、

母の闘病介護が重なったりした結果、

「ホルモン値が底辺」と宣告されてしまいます。

 

この一件も、教員退職の大きな後押しになりました。

 

8年の歳月で、

「子どもを諦める道も考えなければいけない」

という考えも頭を過っていました。

 

後悔しないように、治療へ専念するための退職でもあったのです。

 

子どもたちと離れるのは辛かったのですが、

全力でぶつかっていた分、

大きなストレスを抱えていたのかもしれません。

 

退職後はホルモンがV字回復。

治療を進めた結果、結婚11年目にして

長男妊娠&出産にいたりました。

 

退職したことにすっきりしない気持ちが拭えませんでしたが、

初めて退職を選んで正解だったと、心から思えました。

 

3男出産も合わせると、トータル10年の不妊治療歴がある私。

体外受精の専門治療院に行ったのは実は治療を始めて7年経ってから。

 

本当はもっと早い段階で勧められたのですが、

当時の私は「体外受精は最後の砦」という思いが頭にありました。

 

子どもが大好きで、

たくさんの子どもを産むことが夢だった私。

「もし体外受精をしてもダメだったら、私、生きていけるかわからない

 

そんな「これ以上傷つきたくない」という思いから、

なかなか踏み切れなかった期間が長くありました。

 

もっと早く不妊治療院に行っていれば、

母に孫を見せてあげることもできたかも

そんな思いも正直ゼロではありません。

 

でも、悩んで悩んで悩みぬいたからこそ納得して治療にのぞめた、

だからこれがベストだったと、今は心から思えています。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました

My story⑥に続きます。(↓クリック↓)

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