My story③教師になって知った驚きの現実…

母育士「万智さくら」ってどんな人?

自己肯定感ゼロ人生からの脱却ストーリーをシリーズでお伝えさせていただいています

 

今日は

【子どもが好きすぎて教師にそこでぶち当たる理想と現実

についてお話させてください。

 

友達には恵まれなかった私ですが、

幼いころから自分より小さい子と遊ぶのが大好きでした。

将来は絶対に子どもと関わる仕事がしたい、

そう決めていました。

 

転機になったのは、高校時代です。

福祉施設でハンディをもった子と出会い、

障がい児サポートなどの分野に興味を持ちます。

その後、さまざまなボランティア活動を経て、

大学は教育学部の障がい児教育を専攻しました。

 

卒業後は小学校教員として、

特別支援学級担任を3年間。

通常学級の担任を9年間。

算数少人数教員として1年間勤めました。

 

子どもたちとの時間はとても楽しく、やりがいに満ちた毎日。

「学級で過ごす時間が 私の生きがい」

そう思えるようになり、ようやく居場所を見つけた気がしました。

 

私はこれまでの経験と苦労から、

弱い立場の子の気持ちが痛いほど理解できます。

だからこそ、教員の仕事が天職だと感じられました。

 

子どもそれぞれにどんなフォローが必要かつねに考え、

「不登校の子が登校できるようになった」

「給食を食べられない子が笑顔で食べられるようになった」

そんな嬉しい変化を目の当たりにしてきました。

 

ありがたいことに、保護者の方にも毎年支持いただき、

年度末保護者会では卒業式のようにみんなで泣きながら過ごす、

温かく素敵な時間がありました。

退職したときも、クラス全員の保護者が学校まで駆けつけてくれ、

現在も交流のある保護者がたくさんいます。

 

しかし職員関係は、そうはいきませんでした。

学校に勤めている教員の多くは、元優等生です。

いじめられてきた側、家庭に問題がある側、

そんな当事者の気持ちが分かる先生は少ない現実を知りました。

 

悩みや不安を抱えている子どもがたくさんいるのに、

弱者の気持ちがわかる教員が少ない環境。

そして、大人同士の人間関係構築が苦手なままの私。

社会人になっても「自分はダメだ」という思い込みから抜け出せません。

 

子どもたちのためなら、自信がない自分の殻を破れるのに。

熱血になれるのに。

保護者の方からは、

「男の先生より男気がある」「金八先生」

そんな風に言っていただけるほど、強い気持ちがあるのに。

(できればヤンクミが良かった笑)

 

多様な子どもたちと出会い、

一人ひとりの素晴らしい可能性に触れる充実した日々。

ですがその裏には、

みんなと同じようにできない子(多様な子)

を特別視させる学校の空気がありました。

 

このような環境で生活する子どもたちの苦悩を知り、

学校へ数々の提案をしてみたものの、ほとんどが却下。

「前例がない」

「あなたがやったら、今後みんながやらなきゃいけない」

そんな反対意見に打ち勝てませんでした。

 

さらに、周りから頼まれる無理な仕事や用事を断れないなど、

次第に追い詰められていきます。

校長先生や同僚から小さないじめや嫌がらせを受けるようになり、

働きづらさを感じながらも、

子どもたちとの大切な時間、私自身の「生きがい・やりがい」に

目を向け勤務した13年間でした。

 

ここまでが私の教員時代のストーリー、

読んでいただき、ありがとうございます

My story④に続きます。(↓クリック↓)

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