母育士「万智さくら」ってどんな人?
自己肯定感ゼロ人生からの脱却ストーリーを
シリーズでお伝えさせていただいています♪
今日は【終わりのない不妊治療…】についてお話させてください。
幼い頃からの恵まれない家庭環境。
両親の離婚後は、父の所へ行ったり、祖父母宅へ行ったりして、
自分の家が定まらなかったこともあり、
「早く結婚して落ち着きたい」
という思いが強くありました。
子どもが好きだから、たくさん子どもを産みたい。
そんな願いを持ちながら、25歳の誕生日に今の主人と結婚。
しかし、コウノトリはそう簡単には、私のところへ来てくれませんでした。
待っていたのは8年にも及ぶ不妊治療。
ありとあらゆる治療をしました。
真面目な性格のため、
「頑張っていればいつか報われる」と思い、
一日も休まず治療に通い続けました。
しかし、せっかく妊娠できても流産してしまったり、
母の闘病介護が重なったりした結果、
「ホルモン値が底辺」と宣告されてしまいます。
この一件も、教員退職の大きな後押しになりました。
8年の歳月で、
「子どもを諦める道も考えなければいけない」
という考えも頭を過っていました。
後悔しないように、治療へ専念するための退職でもあったのです。
子どもたちと離れるのは辛かったのですが、
全力でぶつかっていた分、
大きなストレスを抱えていたのかもしれません。
退職後はホルモンがV字回復。
治療を進めた結果、結婚11年目にして
長男妊娠&出産にいたりました。
退職したことにすっきりしない気持ちが拭えませんでしたが、
初めて退職を選んで正解だったと、心から思えました。
3男出産も合わせると、トータル10年の不妊治療歴がある私。
体外受精の専門治療院に行ったのは実は治療を始めて7年経ってから。
本当はもっと早い段階で勧められたのですが、
当時の私は「体外受精は最後の砦」という思いが頭にありました。
子どもが大好きで、
たくさんの子どもを産むことが夢だった私。
「もし体外受精をしてもダメだったら、私、生きていけるかわからない…」
そんな「これ以上傷つきたくない」という思いから、
なかなか踏み切れなかった期間が長くありました。
もっと早く不妊治療院に行っていれば、
母に孫を見せてあげることもできたかも…
そんな思いも正直ゼロではありません。
でも、悩んで悩んで悩みぬいたからこそ納得して治療にのぞめた、
だからこれがベストだったと、今は心から思えています。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪
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