母育士「万智さくら」ってどんな人?
自己肯定感ゼロ人生からの脱却ストーリーをシリーズでお伝えさせていただいてます♪
今日はまず、
【ダメな子のレッテルを貼られた小中時代】
についてお話させてください。
家に居場所がなかった私ですが、
学校には友達がたくさんいて、何でも相談できる先生がいて……
という環境でもありませんでした。
3月31日生まれのため、4月生まれの子とは1年近い差があった私。
体格差はもちろん、遊びや勉強も思うようについていけず、
友達の輪に入れませんでした。
みんなができていることを、みんなと同じようにできない。
父方の親せきから言われ続けてきた「私はダメな子」という思い込みが、
日に日に強まっていきます。
幸い、テレビで報じられるような深刻ないじめは受けませんでしたが、
小さな無視や仲間はずれは数えきれず。
いつも馬鹿にされるばかりで、友達ができないままの日々。
それでも、泣いたり、誰かに相談したりはできませんでした。
“いじめられている”、“友達がいない”と知ったら、母が悲しむかもしれない。
そんな思いもあり、小さな頃から身につけている処世術で、
へっちゃらな顔をして過ごしていました。
いつも普段通りにしていたので、先生も私がいじめに遭っていること、
友達がいないことに気付いていなかったはずです。
義務教育の9年間…
残念ながら学校でも、安心して過ごせる居場所を見つけられませんでした。
続いて…【真面目過ぎる高校時代】のお話。
高校に入っても「母を困らせてはいけない」という思いが強く残っていました。
DVやモラハラを辞めない父と、なんとなくの学校生活。
グレそうなものですが、母のことを考えてしまい、
まじめすぎる青春時代を過ごしました。
当時ルーズソックスが流行っていましたが、
「履いたら不良だと思われるかもしれない」
そう先に考えてしまいます。
母に迷惑をかけるのでは思うと、とても履けませんでした。
(ルーズソックスが不良だなんて今思うとかわいいですね笑)
高校卒業をお祝いする会では、みんなでこっそり缶のお酒を買いました。
そのお酒も結局、一口も飲む勇気がないまま帰宅…
この頃には、頑なで真面目過ぎる自分が嫌になっていました。
ルーズソックスを履く。
みんなとノリで缶のお酒を飲む。
みんなが青春を楽しんでいるのに、踏み切れない自分に涙が出る始末。
何をしていても、いつも不安に付きまとわれ、生きづらい日々が続くばかり。
それでも、
「頑張っていればいつか報われる。幸せになれる。」
そう思い、歯を食いしばって頑張ってきました。
ここまでが私の「私の青春返してよ!青春じゃない青春時代」
読んでいただきありがとうございます♪
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